体験記【2010~2012年】


■「節分」「立春」の浄化から思うこと

 

右半身に噴き出た帯状疱疹

                 横浜 中村吉郎

帯状疱疹

 

 一月二十五日の夜、右半分の背中から腰にかけて四カ所、帯状に一気に湿疹が出ました。余りの痛さと痒さに、これが帯状疱疹であるという事はすぐにわかり、昨年地上天国祭の際に頂いた右手親指の?疽(ひょうそ)の浄化同様、体的なものだけはなく非常に深い因縁によって頂いた浄化であるから、これは節分の翌日立春で終了するのではないかと強く感じました。

 

 その日は、昼間、祖父のお墓参りに行き、夜、母と浄霊の取次ぎをさせて頂いた直後の浄化でもあったので、今一度、自分のおかれている状況、過去の出来事を整理して、先につなげる時期に来ているという節目を感じさせられました。

 

 そして、二月二日、強羅の奥津城に参拝させて頂き、その後も浄霊を取り次がせて頂いたのですが、もう見るも無惨な疱疹の出方となり、まるで背中に炒り豆を敷き詰めてそれが茹でられ色が変色した様な、本当にこれがあと二日で治癒するのかと疑いたくなる様な酷い状態となりました。服を着ているとまるでわからない上、職場に出ると気が張るので痛みが半減し、毎日仕事をしていたのですが、帰宅後は眠れない程の激しい痛痒感で、楳木先生に浄霊の急所を教えて頂きたく電話をした所、「肝臓を重点的に浄霊して下さい。右肋骨の一番下の部分から斜め上へ向ってやると良い、そこが肝臓です」と教えて頂いたので、それからは肝臓への浄霊を徹底して行ないました。

 

 そして、節分祭、立春祭を執り行ない、その立春の日の夜になっても相変わらずの状態なので、やはり帯状疱疹は浄化終了まで時間がかかる、地上天国祭の時の様に節目にきっちり終る浄化ではないと半ば覚悟して、いつも通り肝臓への浄霊を行ない、入浴後部屋で休憩していた所、背中に痛みがなく痒みだけとなったので、普通に掻いた所、疱疹がいつの間にか瘡蓋(かさぶた)になっていただけでなく、ポロポロと取れ始めたのです。

 

 これが、立春が終わった夜中の二時頃。あまりにも正確な浄化の終了に深く感動、感謝すると共に、この時期に浄化を頂いた事で、ここであらためて「節分」「立春」の意味を考えさせられました。

 

風化されようとしている内紛、分裂の真相

 

 いみじくも、この時期にメシヤ教ホームページにて、『「世界救世(きゅうせい)教」の内紛、分裂の真相を基に改革を』の連載が始まりました。今や風化されようとしている二十五年以上前の出来事が、現在の各教団(「世界救世教」以外の各教団も含む)の様々な問題点を内包している様に思われます。

 

 勿論、背景にある「薬毒」は非常に大きな問題ですが、ここで肝に銘じなければならない大切な御教えがあります。皆様、何度も読まれている筈の「裁く勿れ」という御教えですが、あえてここで引用させて頂きます。

 

 『私はいつも信者にいっている事だが、アノ人は善だとか悪だとか、お邪魔になるとかならないとかいっている人もあるようだが、そういう人がまだ少しでもあるのは充分教えが徹底していない訳である。そうして度々言う通り、人の善悪を云々するのは、徹頭徹尾神様の地位を冒す訳で、大いに間違っているから充分慎んで貰いたいのである。それはもちろん人間の分際として人の善悪などいささかも分るはずもないからで、分るように思うのは全く不知不識のうちに慢心峠に上っているからである。従ってこういう人こそ、実は信仰の門口にも入っていない証拠である。又ご経綸にしても人間の頭で分るような、そんな浅いものではないので、この点も大いに心得ねばならないのである。何しろ三千世界を救うというような、昔からまだないドエライ仕組なんだから、余程大きな肚にならなければ、見当など付く筈はない。つまり小乗信仰の眼では、節穴から天井を覗くようなものである。』(昭和二十八年五月十三日発行「栄光」二〇八号)

 

 また、メシヤ様は御光話の中でもこの様に仰っています。

 

 『そこで一番困るのは、人間が人間を裁くことです。これが一番間違っている。あの人はいい人だとかなんとか言って人を裁くのは、その裁く人自身が裁かれているのです。人を裁く前にまず自分を裁くことです、反省することです。他の人をいい人だとか悪い人だとか言うことはたいへんな間違いです。また救いということにしても、人間が人間を救うことはできない。救いをなさるのは神様であり、人間はただその道具にすぎないのです。しかしその道具に使われることがありがたいのです。』(昭和二十三年十月十八日)

 

 その昔、正しい神様を押し込めた罪は、姿を変え形を変えて延々現代迄残っており、どの時代、どの組織でも、正邪の判断もつかぬのに邪魔と思われる存在を敵にし、悪役にして裁く事を繰り返している事実が浮かび上がって参ります。

 

 最も身近な型としては、例えば夫婦間の争いがあった時、どちらかが正しくどちらかが悪いと善悪立て分けて裁いてはいないでしょうか。「争う」事が悪だと言う事に気付いていないのではないでしょうか。また、親子、兄弟、親戚間の中でも、誰かを悪者にしてしまっていないでしょうか。「裁く」事がいけないという道理を忘れてはいないでしょうか。そして、教団分裂の際、派閥が違うというだけの理由で、信仰心ある人が邪神呼ばわりされたり、敵だの味方だの小乗的な観点から溝を作ってはいないでしょうか。

 

 真実を理解した上で、埋めなければいけないのは世界救世(きゅうせい)教三派の溝だけではありません。一元化の際に離脱していった各教団の信者さん達は勿論、メシヤ様を教祖と仰ぐ教団だけでなく、キリスト教、仏教、イスラム教、その他様々な宗教、無宗教まで、今や人類間の溝を超えて真実を伝えて行く時期に来ています。

 

 私は、布教師になった人というのは諸々深い因縁があると御教えから教えられています。自分の過去の職業上の体験から言っても、例えば、お坊さんというのは「我」が強く「欲」の深い方が多く(勿論、清廉潔白な方も沢山いらっしゃいます)、だからこそ、修行して「我」「欲」を取り、人様の為に働かなければならないのに、人から「先生」「先生」と持ち上げられているうちに、ついつい勘違いしてしまって、修行する前よりも傲慢になってしまって、手がつけられなくなる様な例も見て来ました。そうなると、「あの僧侶はけしからん」という声も上がってきて、いつの間にか争いの火種が撒かれ、関係のない人まで巻き込んでの裁判沙汰になって行くのです。

 

 世界救世(きゅうせい)教三派分裂(または一元化による離脱)に際して、それまで一つの教団でまとまっていた親子兄弟親戚、友人知人仲間達が、引き離されてしまった例も数多くあると思います。そこで敵味方のラインを引くのは信仰者として絶対にしてはならない事です。

 

 神話の時代、国常立尊を八百万の神々がよってたかって鬼門に押し込めて以来、人類は必ず誰かを敵にして排除し続け、それを現代迄繰り返して来ました。その「型」はあらゆる事に反映されており、とにかく意にそぐわないものは排除する、農業の世界でも、「害虫」と言われている虫は実は土にある肥毒を食べてくれている味方かも知れない、それを良かれと思って農薬で殺してしまうのですが、生物を殺す薬剤がかかった野菜を人間が口に運ぶ訳です。また、体内にある菌も病気をやっつけてくれる味方の菌もいる。抗癌剤などは、肝心の癌をやっつける前に、そういった身体に必要な菌を先に全部殺してしまう猛毒であると聞いています。だから、髪は抜け落ち、身体機能は衰弱し、肝心の癌細胞一つが死ぬ頃には肉体が滅びてしまいます。

 

 帯状疱疹の浄化から随分話が離れて来ましたので話を元に戻しますと、この疱疹も、病院へ行くと抗ウイルス剤により押さえられてしまい、一見治癒した様に錯覚します。しかし、せっかく出てくれている毒素を中に押さえ込んでしまう訳ですから、それが後で肝臓病になったり、癌になったりして(今回の酷い病状を見て私は癌を連想しました)取り返しのつかない事になります。私の知人にも、帯状疱疹になって、「これは薬で治療しないと一生痛みが残り、傷跡も残る」と言われて不本意ながら薬で治療した人もいます。それが、十日間の浄霊で完治し、今(二月十七日)は、つい二週間前悲惨な症状だった事が信じられない様な、もはや跡もほとんど見えない状態になりました。今回も、浄霊力の偉大さを見せて頂き、心の底から感謝すると共に、節分、立春に強く感じた事、繰り返してはならない事を書かせて頂きました。

 

 以前も申し上げましたが、私に与えられた役割として、仕事の上では広く自然農法栽培を伝える事、そして、薬毒を訴える「医学革命」と、浄霊力を宗教を超えて広める事を始めとする「宗教改革」を、「裁く勿れ」の御教えと「威張るナ、怒るナ、早まるナ」の『るナ三訓』を絶えず肝に銘じながら、今迄以上に取り組んで行く事を決意いたしました。

 

 ありがとうございました。