メシヤ講座骨子H29.11


平成29年メシヤ講座11月度の骨子

 

<11月の骨子に至った過程>

 

h29年9月27日箱根強羅の奥津城と光明殿脇のお掃除に参加させて頂いた折に、昼食後の休憩時間に菅谷氏と浜口氏とのお話の機会を得て、談たまたまメシヤ講座の11月の代表の御指示の有無をお尋ねした処、「10月の骨子に『世界メシヤ教教義』の事が取り上げられていましたので未だ御指示はないけれどいずれ『世界メシヤ教開教宣言』の事に就て書かねばならないような事になるかも知れません」という御返事に接し、私としては仏教関係の第二段を提出しての代表の評価は

 

『(AM9:05)※楳木先生からの伝言です。

・(我々は)5月5日だからね。

・先月の纏めは仏教との比較という意味で有意義だったのだから(大丈夫)。

※「(我々は)5月5日だからね。」についてですが、これはメシヤ教の竣成の日を指しての発言でした。かなり重要な事だという雰囲気のお話でした』

 

と頂いて、

「どうもその5と5がキーポイント、ヒントになっているように感じたのですが、開教宣言が題材なら5×5=25だから合ってるかも知れませんね。大本教の出口直さんの開教宣言は明治25年の正月元旦でしたし、世界メシヤ教の開教宣言は昭和25年の立春でしたから、開教宣言は25という数に関係があるとしたら、平成25年はメシヤ教には何がありましたかね」

と菅谷さんに尋ねた処、菅谷さんはスマホで早速調べてくれて「平成25年は6月15日に初めて箱根で地上天国祭を執り行った年ですね」と教えて頂いた。開教宣言とはちょっと違うかなと思いながらも頭から離れないでいたら、10月7日になって「ともすれば世界救世教復興事業教団の構想が代表の頭に出来た年じゃないか」と早速飛び込みでラインの浜口さんにお聞きした。そしたら澤枝さんは「構想というよりその年の発表ですよ」との事なので、それならやはり平成25年は、第二の世界メシヤ教開教宣言と言ってもいい年ではないか、とすればM25年・S25年・H25年と25年繋がりで開教宣言があった事になり、世界救世教復興事業教団は国常立神様がお出ましになられた年、メシヤ様が御降臨された年に匹敵する重大な年である事をお示し頂いていると思うに至ったのでした。

 

<三者の開教宣言>

 

〇大本教の出口直さんの開教宣言

 

『三千世界一度に開く梅の花、艮の金神の世になりたぞよ。梅で開いて松で納める神の世になりたぞよ。この世は神がかまわなゆけぬ世であるぞよ。今は強いもの勝ちの悪魔ばかりの世であるぞよ。世界は獣の世になりておるぞよ。悪神に化かされてまだ目が覚めん暗がりの世になりておるぞよ。これでは世はたちゆかんから、神が表に現れて三千世界の立て替え立て直しをいたすぞよ。

用意をなされよ。この世はさっぱり新(さら)に致してしもうぞよ。三千世界の大洗濯大掃除を致して、天下泰平の世におさめて万劫(まんご)末代続く神国の世に致すぞよ』

と突然に艮の金神(国常立神様)が直さんに憑り、大音声で開教宣言されている。要するに「建て替え立て直し」宣言を発せられたものである。

 

〇世界メシヤ教の開教宣言

 

「世界メシヤ教の誕生に就て 開教の辞」の要点

『・霊界の夜昼転換の時期に愈々入って、仏教の救いは夜の期間中であるから夜の消滅と共に観世音菩薩の御救いの転移進展となるので、一言にしていえば仏滅を意味するのである。従而、観世音菩薩の御働きも救世主(メシヤ)のそれとなるのは勿論である、即ち化神仏であらせられた観世音菩薩は茲に仮面を脱いで、御本体である神の御働きになり給うのである。・・・最後に言わなければならない事は、これまでは観世音菩薩の御働きであったから、言わば東洋的であった、然るに時期切迫の為どうしても一大飛躍によって全人類を救わなければならない、とすれば世界的に拡充する必要がある、世界メシヤ教の名に依る所以である。

・今一つは観世音菩薩は、無差別的の救済であったが、愈々地上天国が目前に迫り来った、今日茲に善悪を立別け、善を育て悪を滅しなければならない事になった、所謂悪のトドメである、従而救いの力も決定的でなくてはならない、その力こそメシヤの揮わせらるる大神力である。

嗚呼、慶賀すべき時とはなったのである。』

と、大本教の宣言に、夜昼転換という具体的要因を加え、救いと裁きを宣言されたものという事が出来ると思います。

 

〇メシヤ教の開教宣言

 

「メシヤ教の発会は2000・H12・2・4で、それより先駆けた1999・H11年5月5日に「ゝ」の御神体が御奉斉された」という事ですから、開教宣言は行う前に御神体が出来てしまった訳で、実質的にはH25年6月15日に救世教として初めて地上天国祭を執り行った時が、メシヤ教の開教宣言というよりか、第二の世界メシヤ教の開教宣言と言ってもいいのではないかと思うのです。ですからメシヤ教としての開教宣言は特段無くてもいいのかも知れません。要するに箱根の地に「ゝ」の御神体が掛けられ、主の大御神様をお迎えさせて頂いた事が「第二の世界メシヤ教の開教宣言」となるのだと思います。

1954・S29年6月5日のメシヤ降誕宣言があって2013年・6・15日には「ゝ」

が世界大に成長されるまで59年間、足掛け60年かかって万全の体制が出来、人類救済には元々の本家が本来の姿に戻り、本来の力を発揮させて頂く可く時に至ったが故にメシヤ教復興事業教団として準備された団体であると言えるのだと思います。

 

<我々は5月5日だからね>

 

抑々(そもそも)5・5の数字の意味は、御論文「霊界に於ける昼夜の転換」中の

 

『法華経28品に於ける25番目の観音普門品中に神秘が隠されており、25の数は5×5で五は日であり、日が出ず(五)る(日の出)の意味である。つまり法華経28品は28は女性の28宿を意味し、月の仏界に日が生まれた事を指す』

 

が発端で、

「ゝ」とはメシヤ様の腹中の光りの玉に最高最尊の御倉板挙之神(みくらたなのかみ)様が御降臨された意味を表したもので、伊邪那岐尊様の禊(みそぎ)の終りに三人の尊い皇子をお生みになられ、その筆頭の天照大御神に『お前は私に変わって高天原を治めよ』と命じられ、その統治の印に頸につける玉飾りを与えられ、その玉飾りの名を『御倉板挙之神』と申し上げるのである。つまり、五百津美須摩琉の玉の事で、勾玉を5百個連ねた事を意味するのであろうし、「ゝ」とは「日」という字であり、「ゝ」は黒点を表している。そしてスサノウとの天ノ八洲河原での誓約の時にスサノウが天照大御神様の首飾りを噛み砕いて吹き出した息が霧となってそこに現れた神様が正勝吾勝勝速日天忍穂耳尊という神様で、この神様の御佛名が最勝妙如来であり、千手観音様でもあり桃太郎という事になっている。これは桃太郎自体が勾玉と同じ成分である事を示している。つまり最高最尊でありキングオブキング(王の王)で、負ける事はない神様という。

 

浜本未造氏によればこの神様が「エホバ」であると言っている。その出所先は聖書で、「吾 万軍のエホバなり」、「吾 勝ち勝ちて尚勝たむ」という一節で、イエスキリストが「天にまします我等の父よ」というのは天忍穂耳尊を指しているというのである。

 

又、面白い事に伊邪那岐神が根の堅洲国の醜女や黄泉(よもつ)の戦人(いくさびと)等に追われた時に桃の実を投げて撃退し、将来人類が苦しい瀬戸際に落ちた時も助けてあげて欲しいと神名をつけられたのが「意富加牟豆美命(おほかむずみのみこと)」という名で、それは宇宙の一霊四魂の内の奇魂・幸魂・和魂の完成した事を桃の実三つと言ったのであり、「おおかむずみ」とは魂の中に「大神が住んでいる」という意味であり、「桃は心臓の形をしており火素を吸収する器官でもある」と言うから良く出来ている。宇宙の一霊四魂とは全宇宙に波動を及ぼして宇宙を構成しているもので、この一霊四魂が無くなると全ては無に帰すという事である。

 

そしてこの天忍穂耳尊という神様は、一度現界に派遣されそうになった事がある。それは神界で出雲系の統治から大和系の統治に戻そうとする国譲りの目的で使者を送るのであるが、酒色を以ての対応で悉く失敗する。そこで火之迦具土神(ひのかぐつちのかみ)が伊邪那岐尊に首を刎ねられた時に生まれた「武御雷神(たけみかずちのかみ)」を派遣してようやく大国主尊は承諾するが、眷属はなかなか応じないで国も収まらない。そこで天照大御神と高木の神(高御産巣日神・たかみむすびのかみ)が又相談して天忍穂耳尊に白羽の矢を立てるのであるが、天忍穂耳尊は御自分の出る幕ではないとお思いになられたのか、次男の邇邇芸命(ニニギノミコト・正式名は天邇岐志国邇岐志天津日高日子番能邇邇芸命・あめにぎしくににぎしあまつひだかひこほのににぎのみこと)が生まれたからそれを遣わそうという事になり、到々御自分はお出にならなかったのである。それが昭和29年6月5日の「メシヤ降誕宣言」の折、「これは事件なのです」というお言葉が発せられたというのは有史以来なかった事が起こったからで、愈々一大事の時を迎えて現界にお出ましになられたのが井上邸での御神事によってであり、「これは将来教団の発展と人類救済に大きな訳がある、これで間に合った人類が救われる事になるんだ」とお仰せられた事は「ゝ」主の神が地球大に成長された今であり、その為に「ゝ」を御神体とするメシヤ教復興事業教団が準備されたという事になるのであって、我々が如何に重大時に選ばれたかがご理解頂けると思う。

 

2ページの法華経28品は25番目の「観音経」観音普門品がメインであり、「五」という数字は天地の間に「力」という字が入っている。「力」という字は経緯が結んで左進右退に回転しているという意味で、観音様のお働きそのものを表している数字で、神仏の御名に力を持つ神仏は「観音力」と言って観音様しか居られないのである。その観音様はやがて光明如来となられメシヤとなられるが故に「日(五)が出(五)る」で25であり、メシヤ様が出られてしまえば法華経も御用済みで、その為に存在したお経という事になる。

 

三月三日は「桃の節句」で桃の花が咲き、五月五日は「端午の節句」で桃の実は成り、鯉のぼりを上げる。鯉のウロコは33枚で観音様の33相と同じ数字で鯉のぼりとは観音様の出世を意味する事から、やはり端午の節句も法華経の日出(いず)るの25番目と合致します。

 

代表が「我々は五月五日だからね」と念を押された意味も来年の三月三日も五月五日も極めて重大な意味ある日となる。

 

「五」は火(日)であり、火は大でもあり、大は一人と書き、スも一人で、スは主神のスであり、ゝはスと読み、心も上のゝが移動すれば火となり、心臓にもなり、桃にもなる。実質的第二の開教宣言はメシヤ降誕本祝典が行われるH30年3月3日であり、動き出すのは5月5日と見ていいのではないか。もう勝ち進んで負ける事はないのである。

 

御論文『ゝ(ス)の文化』では、「〇にゝが入るとなると之が九分九厘を一厘で換えて了う。言い換えれば九分九厘の悪を一厘の善の力で往生させるという意味である」

 

<「夜の終り近づけり汝等悔い改めよ」から>

 

抑々夜昼転換の順序であるが、これは私の常にいう如く眼に見えぬ幽幻界から始って、それが霊界に移写し、それが又現界に移写するのである。茲で最初の転換である幽幻界とは三次元の世界でこの時が西暦1881年で、次の霊界即ち二次元の転換が1930年であり、次の現界の転換こそ今や目睫に迫りつつある一大危機の開始である。

これを表にすれば

1881年     1931年      1981年     2031年

・――――――――・――――――――・――――――――・

50年       50年       50年

現界の 幽現界    現界の霊界二次元   現界の現界

霊界三次元

 

となり、1881年の幽現界の転換は、恐らく日蓮さんの日蓮宗開教宣言が現界に移写された初年ではないかと思う。

 

ネットで「1253年(建長5年)4月28日(5月26日/6月2日)朝、日の出に向かい「南無妙法蓮華経」と題目を唱える(立教開宗)。この日の正午には清澄寺持仏堂で初説法を行ったという。名を日蓮と改める」

とあるから、1253年から1881年は628年であるから、628年を経て現界に移写されたとみていいのではないか。

 

御教えでは「文明の創造」のP305『霊界に於ける昼夜の転換』中に詳しい。勿論法華経は「日を生む」役目があるから最奥霊界の黎明に関わったのは、法華経を唱えた日蓮さんの役目であり、それが移写して幽現界の夜昼転換の翌年の1882年12月23日にメシヤ様は御生誕されている。そしてその10年後の1892年・M25年に国常立尊様がお出ましになられたのである。

 

1931年は鋸山での夜昼転換の御神事を行い、1981年はノストラダムスの大予言Ⅲが出版されており、私が所属した浄霊会では著作権裁判の最中に弁護士がたまたま裁判の資料というのでメシヤ教で発行した「文明の創造」のガリ版刷りを手に入れ、著作権裁判中にも拘わらず「天国の手引」という題で、副題は「我ら人類の奥義書」と銘打って出版を強行した年であった。

 

そしてやがて来る2031年は今年が2017年であるからあと14年後となり、去年の8月8日の天皇のテレビ会見での「退位」宣言は、愈々天孫系から大和系に返還されるのかと思ったが、その後皇太子への「譲位」となったので徳仁天皇の時代になる事は必至で、14年の中に破壊と建設が同時進行に行くとすれば、どえらい肚にならなければ追っつかないのではないかと思う反面、人間如きがこういう事を言い出して当たった試しはなく、そう言うと神様は必ず変えられるものと決まっている事は浄霊会時代からの経験則で身に染みている。然し乍ら異常気象や大地震の頻発や、イスラム原理主義者の台頭や、中国、北朝鮮、ロシヤの怪しい動向を見ると何かが起きそうでもあり、いつ何があっても万全の体制作りは必須条件である。そういう中で世界メシヤ教復興事業教団は出来たのであるから、如何に大掛かりな御経綸の一端であるかが偲ばれる。

 

メシヤ様は御在世中「メシヤ教は安全地帯ではない」と仰られていた。それは何故か。只メシヤ教という教団に在籍しているだけでは駄目で、『メシヤ様と各自が太く結ばれていなくては安全ではない』という事であり、太く結ばれるのは個人の意思によるもので、結局「天は自ら助けるものを助く」で自己責任という事になる。

 

浜本氏(古事記の研究家、霊示も受ける)の言を借りれば、

 

「真実救ってくれるものは自分以外にはない。救いを求めるなら自分と自分を在らしめている中核現体に合一する以外にはない」

 

という事で、大いにメシヤ様と太く結ばれ、御用にお使い頂く人間にならせて頂く以外に救われる道はないという事である。諄(くど)い様だが、それを負担に思うか、大いにやってやろうじゃないかと思うかは個人の自由であり、結果は自己責任で、人のせいではない事だけは確かである。只メシヤ教は救いの為の最大のバックボーンがある事だけは確実で、大いにお知らせしたいと思っている次第である。

 

2017・H29年10月14日・4・38

 

教学顧問  庭山光太郎