「メシヤ降誕本祝典」意義と想念のあり方H30.3.3

平成三十年三月日「メシヤ降誕本祝典」意義と想念のあり方

 

〇本祝典に至るまでの経緯

 

いよいよ本祝典のこの日が参りました。三千年の夜の時代の終わりに際し、救世主(メシヤ)の大神力を発揮されるメシヤ様をここにお迎えし、謹んで感謝とお慶びを申し上げます。

 

祝典の開始に先立ち、今一度メシヤ様とはどういうお方か、我々が学んできた主神様の御経綸の視点から振り返り、今回の想念づくりを始めたいと思います。

 

主神様とは全宇宙そのものであり、表現し奉る言辞もなく、主神様と申し上げる段階で、既に矮小化されてしまう程の、計り知れない大きさの御存在ですが、太陽、月球、地球はおろか天体、宇宙全体が、主神様の御意志の表れであり、その表現神であられる大彌勒大御神様の御体でもあります。

 

長い長い御経綸で昼から夜に入り、そしてまた昼に戻る黎明期となって、愈々主神様は明治十五年十二月二十三日、岡田茂吉と言う一人の人間を、自らの分霊としてこの地上に御降し遊ばされました。主神様が選ばれたその地は、世界の東である日本の、その東の東京の、そのまた東の浅草の、更に東の端、橋場の貧民窟でありました。

 

ここに名も無き市井の人としてお生まれになり、その後四十年間、人としてこれ以上ないくらいの数々の御苦労を重ねられ、ありとあらゆる艱難辛苦をなめられ、一角の実業家として名を成すまでに御成長遊ばされる一方、その間、宇宙では少しずつ光を強めながら、時期到来の昭和元年、大聖観世音菩薩の御神霊を、その腹中にお降しになられたのです。

 

このように主神様が何故人間として現界にお降り遊ばされたかと言うと、この地上を天国にするには、一度人間として御降り遊ばされ、そして現界にて人間を救うための教えと力を、人類に授ける必要があったからで、あくまで人間を通して救いを展開するのが、主神様の御経綸であったからです。そして、光を弱めた状態でなければ、人間の体に御神霊を入れる事は出来ないので、この時期、夜の時代の末期を選ばれたわけです。

 

そして、昭和六年六月十五日、鋸山山頂において、光の根源である太陽神、天照皇大御神様を現界にお迎えし、東京日枝神社に鎮座、地上における夜昼転換の礎が、ここに定められます。

 

昭和十年には、地上における御神業の機関として、大日本観音会を発会、自らを観音とし、自観と号して、人類救済の御業を、お始めになられる一方、発会に際しては、善言讃詞をお作りになられ、御自身がこの地上に降りてから、地上天国が出来上がる迄の様相を詠み込まれ、日々奏上する祝詞とされています。

 

その後も、どんどんと光が増すにつれ、教えに靡く沢山の人(土)を増やし、救いの技と力を伝授される、日月地大御神の御働きそのものとも言うべき御働きを重ねつつ、昭和二十五年二月四日、世界救世(メシヤ)教を開教されました。その教義にはいよいよ御自身の御存在と岡田茂吉という人間であるメシヤ様が、観音からメシヤへと御出世遊ばされる事が説かれています。

 

宇宙が再び昼の時代に入った時、同年六月十五日、日本の中心において、腹中の光の玉に芯(太陽黒点であり、主神様の地上における御神霊である御倉板挙之神様)が降られ、いよいよメシヤとなられる条件が整えられましたが、その後も御神霊は腹中でどんどん光を増し、大きくなられたことに応じ、昭和二十九年六月五日メシヤ降誕宣言をなされ、六月十五日のメシヤ降誕仮祝典、翌三十年三月三日、神幽現三界が揃って昼の御経綸に入るこの日を、本祝典とする一連の段取りが定められたものの、仮祝典挙行後の光の爆発的増量と、大浄化の始まりに恐れをなした人間達が、再び光を押し込めてしまい、メシヤ様を明主様へとお戻ししてしまったことにより、それ以降の、地上における御経綸の展開は不可能となり、再びやり直しができるであろう時と人を待たれつつ、昭和三十年二月十日、人間として地上でなし得る御準備、すなわち地上経綸の道具である人類に対して、仁愛と仁慈の働きを、将来担わせるための御準備と御経綸をすべて終えられ、神界に御戻りになり、大彌勒大御神の座に着かれたわけです。これは、一見人間側が、主神様の御経綸を拒否し、主神様の御経綸を、延ばされたように見受けられますが、主神様の視点からは、これさえも、来たるべき五六七の世のために、物質文明をさらに発展させ、人類のレベルをもう一段上げようとの、御経綸であったのです。

 

その後、時至って、平成十一年、本教代表楳木師を、神界から御指導しつつ、メシヤ教を開教せしめ、我々に主神様の御神体を授けられ、御神名を唱えさせ、メシヤ様の御復活に向けて、直接御力を与えて下さりながら、昨平成二十九年六月十五日、我々人間側に昭和のやり直し、メシヤ降誕仮祝典を執り行わせ、これを始まりに、最後の御経綸に入られました。

 

それが昨年から本日までの流れ、昨年六月には根源である天照皇大御神様、火(日)の力を降し、十月には伊都能売大御神様、火と水(日と月)の力を降し、そして十二月には、火水土(日月地)の三位一体力たる日月地大御神様を降し、宇宙の中心から見れば、地球へ向けて、日月地と一直線になる、神界の奥から神幽現がつながり、主神様の御意志と光が地上まで結ばれるという、昭和と平成が時間を越えた共同作業として、神幽現一体の御経綸となるわけです。

 

人間側から見れば、六月の天照皇大御神様、十月の伊都能売大御神様、十二月の日月地大御神様(霊的には五六七)と、それぞれの祭典において御神名をお唱え申し上げ、神々が御復活なさる姿となっており、日月地大御神様の御出世により、経と緯が結ばれ、本年二月に国常立大御神様が御出世遊ばされ、愈々地上に「救世主(メシヤ)」様が降誕されます。

 

〇本祝典の意義

 

我々人間は、三千年前の国常立尊様を押し込めた罪、昭和においてメシヤ様と、主神様の御意図を拒否してしまった罪、平成において未だその認識が出来ずに、御神縁を頂きながらメシヤ様に帰一できずにいる罪、夜の時代に犯してしまった数々の罪を、心からお詫びさせていただき、メシヤ様直接の御働きである正しい裁きの御働きとともに、救いの御働き、慈悲の観音様の御働きを、我々が担わせて頂くことをお許し頂くとともに、これからの地上天国建設、世界救世(メシヤ)教復興に邁進させていただくことを、心から御誓い申し上げること、そうして、お許し頂いたことの、御使い頂けることの、御神業に邁進させて頂くことの、そして何よりも、人類が救われて行くことの、その歓びを、全宇宙の御経綸の主体であり、大救世主とも言うべき「大彌勒大御神」様に申し上げ、この地上にメシヤ様を御降しになられたことを感謝申し上げ、(経)神幽現一体の御働きと、(緯)世界的三六九への動きのスタート、その御働きの発動を御祝い申し上げる大祝典が、メシヤ降誕本祝典に外ならないのです。

 

〇本祝典挙行における変更点

 

以上の経緯と意義に深く思いを致し、今回の祝典から、世界救世教教義は、立教当時の原文に戻し、「「世界の創造主たる主之大御神(エホバ)は」とあるを「主之大神(エホバ)は」に、「吾等の岡田茂吉教祖に救世主の大任を下し給い」とあるを、「吾等の教主岡田自観師に救世の大任を下し給い」として、この時点からのやり直しの意を込め、変更させて頂きます。

 

また、大彌勒大御神様の御出世と、今後現界における最後の御経綸の進展、これから来る大浄化の時代に、しっかりと地上天国建設、世界救世(メシヤ)教復興の核とならせて頂き、慈悲と愛の救いの御神業を担わせて頂くとともに、主神様の御意志をこの地上に体現し、メシヤの御働きをなさる大彌勒大御神様に、世界が、萬教が、帰一して行くことを心から祈願させて頂くため、善言讃詞の「仁愛の御手に帰一され」の、(メシヤ)と読んでいた「仁愛」を(ミロク)と読ませて頂き、「仁愛(ミロク)の御手に帰一され」として、御神名の御働きとの整合を図りたいと思います。

 

教義と善言讃詞は連動しておりますが、平成のメシヤ教開教時以降、教義にあっては、主神様の御神体を頂いた唯一の教団として、「主之大御神」と最上級の敬称を用い、分派各教団が教祖乱立する様を呈していたことを憂慮し、教祖はあくまでメシヤ様ただ御一人ということを認識するため、これまで「吾等の岡田茂吉教祖」と読み替え、善言讃詞にあっては、メシヤ様御復活と、帰一を祈念し、「仁愛」をメシヤと読ませておりましたが、メシヤ様が既に御出ましになり、御復活がなった今、今後に向けて、この二点を変更することと致します。

 

〇本祝典挙行に伴う想念のあり方について

 

以上長々と申し上げましたが、今回は祝典であり、通常の祭典とは異なりますから、祭典に向けての想念づくりというよりは、御参集の皆様の湧き上がる思いこそが、想念のあり方そのものとなります。

 

従いまして、箱根仮光明会館での参拝時は、メシヤ様御尊影に対し奉り、「主之大御神様」の御神名をお唱えしつつ、これまでの、善悪を巧妙に織り込まれた深き御経綸に改めて感謝申し上げるとともに、すぐ脇の奥津城に鎮座坐しますメシヤ様に、ここまでお待たせ申し上げたことへのお詫びと感謝の想念を添え奉りつつ、現界御出ましへの御挨拶を、改めて述べさせて頂き、熱海救世会館においては、メシヤ様御尊影に対し奉り、「大彌勒大御神様」の御神名をお唱えしつつ、全宇宙の救世主である大彌勒の御働きと、その地上における発動の第一歩であるメシヤ様の御降誕を、歓喜をもってお迎え申し上げ、世界を救う御働きの一部を、我々が担わせて頂くことをお誓い申し上げ、人類存亡の瀬戸際であるこの時に、その救いの御業に携わらせて頂くことの幸福と歓びを、ハレルヤのコーラスとともにお聞かせ申し上げたいと思います。