「世界救世(メシヤ)教復興祭」意義と想念のあり方H30.5.5

〇本祭典に至るまでの経緯

 

平成二四年以降、我々が「新本部竣成記念大祭」として執り行ってきた、この五月五日の祭典は、今回より「世界救世(メシヤ)教復興祭」といたします。

 

これに先立ち、まず、五月五日の意味合いを申し述べますが、我々の御神業は、昭和の始めに遡る大日本観音会の発会を嚆矢として、幾多の変遷を経つつ現在に至っておりますが、この間、現界における重要な御神業の節目には、必ずと言って良い程、この日が当てられております。

 

三月三日の節句で咲いた桃の花が、五月五日の節句に桃の実として形となり、更にその桃の実から生まれた桃太郎が、鬼ヶ島の鬼退治に行くがごとくに、新たな働き、新たな黄泉比良坂の戦いが、この日から始まって行く訳です。

 

振り返れば、昭和一〇年元旦、大日本観音会発会を受けて、その五月五日には、麹町「自観荘」にメシヤ様は御移りになり、御真筆のお守りとともに、万人に分け隔てなく浄霊力を付与することを御発表、現代に繋がる手かざし型の浄霊法確立を見て、人類の具体的救済の第一歩が記されたこと、また、昭和一九年五月五日、箱根神山荘にメシヤ様は御移転、地上天国の型となる神仙郷、瑞雲郷の建設に御着手、地上天国建設の第一歩がこの日であったこと、そうして、その後現界における御経綸を終えられ、御昇天の後、神界での御経綸に移られてからは、メシヤ教発会に際し、代表楳木師に主神様の御神体を賜い、初めてこの〇にゝの御神体が掛けられ、世界救世(メシヤ)教復興に向けての御神業が始まったのが平成十一年五月五日、その後、新本部の竣成が許され、復興の御神業が本格化したのも、平成二十四年の五月五日であり、以後、記念大祭を重ねつつ、現在に至っているのは、皆様ご承知の通りであります。

 

さて、我々のこの一年は、昭和を平成へと繋ぎ、三千年前に御隠れになった神様を、昼の時代にお迎え申し上げる祭典神事に専念したかの感がある一年でありましたが、本来我々の使命が「みろく」の世、地上天国の建設であり、その途上の審判時期における人類救済であり、その第一段階たる世界救世(メシヤ)教の復興にあることは、何ら変わるものではありません。

 

それには、神様の御戻りと御力の発揮が不可欠であるために、まず取り組んだのが、この一年の御神業でありましたが、神様の御戻りは太陽神の御光無しにはなし得ず、かつての昭和の押し込めや停滞も、主神様がコントロールなさるこの光の状態如何にある訳で、現界における太陽神の御降臨の日、すなわち天照皇大御神様をお迎えする六月十五日、その直前の、この五月五日こそ、太陽神御降臨を前に、神界では「五六七(みろく)」の「五」、「日月地(みろく)」の「日」に、大聖観世音様が宿られる重要な節目の日である訳です。

 

その大聖観世音様から御出世され、神幽現一体の昼の御経綸を司る大彌勒大御神様として、メシヤ様を御迎えしたのが、本年三月三日の本祝典でありましたが、その大きく開いた桃の花を受け、次いで、桃の実の節句であるこの五月五日は、我々がお迎えし、桃太郎であり、千手観音様であり、最勝妙如来でもあられるメシヤ様に、我々が、家来である犬や雉や猿かのごとく付き随い、三千年の桃の実を取り戻すべく鬼ヶ島に迎い、観音様の千手の御手の一つであるかのごとくに働き、最勝妙如来様とともに必ず勝つ我々の決意と覚悟を、すなわちメシヤ教復興の第一歩を、実際に踏み出す日である訳です。

これまでの一年の歩みは、三月三日の本祝典と、メシヤ様の御出ましで完結するのではなく、御出ましになったメシヤ様に付き随い、第一歩を踏み出す我々の自発的な決意と実行によってこそ完結し、次なる御神業の進展を見る訳です。

 

〇本祭典の意義

 

一方、翻って見れば、我々自身が、犬や、雉や、猿のように、鬼ヶ島に向う桃太郎に付き随う決意と覚悟があるか、また、多種多様な御働きをなさる千手観音様の、御手のひとつになりきれているか、その想念と現状の如何を問われれば、その認識の甘さと不覚悟を認めざるを得ず、かかる現状から、我々が、真に大彌勒様を御迎え出来たとは、未だ言い切れないことを深く恥じ入りつつ、そのお詫びとともに、我々一同の今一年の向上に向けての御猶予をお願い申し上げたところであります。

 

来年、平成三十一年五月一日には今上陛下が御退位遊ばされ、徳仁(なるひと)親王殿下が御即位、新たな御代が成り(なり)ます。神界現界は真に一致し、「みろく」の世に向けての建設と破壊は、同時に進んで参ります。その日から、人間側の準備の如何に関わらず、我々がお迎えした神様の新たな御働きが始まることを受け、地上経綸の「体」を担う人類として、その五日後の五月五日には、我々メシヤ教一同が、代表楳木師の御志を継ぎ、世界救世(メシヤ)教復興の急先鋒として、一人一人が立たせていただくために、本日、如何なる覚悟で本祭典に臨ませていただくべきでありましょうか。

 

それは、本祭典を世界救世(メシヤ)教復興祭と位置付け、これまでのお詫びと誓いを、直接復興の御神業に繋げ、我々が自ら、我々の意志と決意をもって、形にして行くこと以外には、あり得ないと思料するのであります。

 

〇本祭典挙行に伴う変更点

 

この復興の初日に際し、千手観音様の御手のひとつである金銭財物の御働きを司っておられる「メシヤ大黒天」様については、「みろく」の世建設への第一歩に際し、これまで以上の御働き、観音様の御働きへの御出世をもにらみつつ、時宜に適した呼び名に替えさせて頂く時期となったことを踏まえ、本祭典から、「みろく大黒天」とお呼び申し上げたいと思います。

 

〇本祭典挙行に伴う想念のあり方について

 

以上、縷々申し上げましたが、我々は、本年二月の節分祭立春祭におけるお詫びと復興への誓いを、主神様に御聞き届けいただいた、その表れが、三月三日の本祝典における大彌勒様、メシヤ様の御出ましであったことを受け、我々が真に今後の御神業への覚悟と決心をもって、自ら第一歩を踏み出し、神意を具体的に形にして行く日が、この五月五日であるとの認識に立ち、これまでの主神様の御経綸に深く感謝しつつ、復興の誓いを新たにし、その具体的な一歩を踏み出す決心と覚悟を、主神様の御神前に、謹んでお届けしたいと思います。

 

五月五日 世界救世(メシヤ)教復興祭 御讃歌

 

三千歳(みちとせ)の 王母(おうぼ)の園の桃実(ももみの)り 神(かみ)の器(うつわ)と 世に現(あ)れましぬ
(光明世界 3 S10. 5.21 桃の実)

 

らちもなき お伽(とぎ)噺(ばなし)に事よせて 知らしめ給(たま)ふ神(み)心(こころ)ふかきも
(光明世界 3 S10. 5.21 桃の実)

 

千早(ちはや)振(ふ)る 神(かみ)の御国(みくに)を 建直(たてなお)す 力(ちから)の主(ぬし)は桃(もも)太郎(たろう)かも
(光明世界 3 S10. 5.21 桃の実)

 

鬼ケ城(おにがじょう) やがて陥(お)ちなむ 桃(もも)太郎(たろう)は 最勝(さいしょう)妙(みょう)如来(にょらい)の化身(けしん)に在(あり)せば
(光明世界3 S10.5.21桃の実)

 

思(おも)ひきや  昔語(むかしがた)りの桃太郎は  千手観音(せんじゅかんのん)の 化現(けげん)にぞある
(光明世界 3 S10. 5.21 桃の実)

 

日之本(ひのもと)の 真(まこと)の医術 現世(うつしよ)に 再(ふたた)び現(あ)れます時来(とききた)りけり
(日本医術講義録 S10. 5.5 医しの神業)

 

弥勒(みろく)の世(よ) 見(み)え初(そ)むるとも心(こころ)せよ 曲(まが)は隙(すき)なく狙(ねら)ひつめ居(お)り
(御光話録7 S24. 3. 6)

 

誤(あやま)れる 道(みち)や心(こころ)に 気付(きづ)かずば やがて滅(ほろ)びむ神(かみ)の審判(さばき)に
(御讃歌集 S23.7.1 覚醒)

 

厳(おごそ)かな 神(かみ)の審判(さばき)に許(ゆる)さるる 人(ひと)にこそなれ身(み)霊(たま)清(きよ)めて
(御讃歌集 S23.7.1 大審判)

 

礼節(れいせつ)と 順序(じゅんじょ)を守(まも)る 事(こと)にこそ 観音(かんのん)行(ぎょう)の要(かなめ)ありける
(東方の光 9 S11. 1. 1観音行)